まえがき

哲学、という言葉に、どのようなイメージをもつでしょうか。

「哲学やってます」とマジメな顔して言われると、
頭よさそうとか賢そうとかいった印象を受けるはずです。

『哲学者のコトバ500』なんてタイトルの本があったら、
読むとチョット頭がよくなりそうな気がしてきますね。

ただ一方では、役に立たない(金にならない)とか、
うさん臭いと感じることもあると思います。

確かに、哲学と称するもののなかには、
いわゆる「俺ぁ哲学もってるからよ」的な人生哲学や、
「真理はここにある(それを私だけが知っている!)」と主張している
カルトくさいものも少なくありません。

たとえばこんな感じです。

「哲学を勉強してます」
「あ、そうなんですか、よくわかりませんけど……何かすごいですね!」
「お金にはなりませんけど」
「……」
「そんなことより、宇宙の真理を知りたくありませんか(笑)?」
「……(こいつヤバイ)」

もちろん近代社会においては、
他者の自由を侵害しないかぎり、どんな言論だって自由に行われていい。

しかし、歴史に名を残しているような哲学者が、
「私だけが真理を知っている」という預言者口調に陥っていることは
ほとんどありません。

反対に哲学の歴史は、
真理はそもそも存在しないことを示す過程だったと言っていいくらいです。

真理をつかむことが哲学の課題ではない。

ましてや、それを悟ることでもない。

真理という概念自体が、一つの背理なのだ――。

長い時間をかけて、
哲学はそうした洞察に行き着きました(ニーチェがその極致です)。

しかしこのことは、
哲学が何の役にも立たないことを意味しているわけではありません。

むしろ哲学は、真理が存在しないという深い了解を踏まえて、
問うべき事柄を、私たちの生の意味や価値へと移してきたのです。

哲学はこれまで、
普遍的な認識は可能か、よい社会とは何か、恋愛の意味は何か、
豊かな生とは何かというような、
現代に生きる私たちも抱くことのある問題を提起し、
深く納得できるような解を与えてきました。

本書で紹介する50の作品は、
その営みのなかで生み出されてきた、哲学の結晶と言うべきものです。


そもそも哲学とは何か?

多少乱暴ですが、一言でまとめてしまうと、
哲学とは「概念」によって共通了解を生み出していく営みです。

哲学ではこのことを「共通了解の言語ゲーム」と呼んでいます。

ゲームと言われると「?」と思うかもしれませんが、
ポイントは、互いに一から問題を考えなおすことで、
共通了解を新しく創出する営みであるということです。

営みである以上は、
成功することもあれば失敗することもある。

あらかじめ成功が約束されているわけではないというのが、
ゲームという言葉のニュアンスです。

その意味で、哲学は困難に突き当たったときにこそ
真価が試されるツールです。

困難な状況においてなお、深い納得を生むような解を示せるか、
そうしたものとして日々思考を鍛え上げているかどうかが、
学説の試金石となります。

どれだけ物知りだろうと、
それが納得できる解につながらなければ意味がない。

哲学に権威のための場所はありません。

鋭い感受性と鍛え抜かれた洞察力で、
問題の端緒をつかみ、
共有できる問題の形に仕上げ、
納得できる解を与えた人物だけが生き残り、
読みつがれ、
考えつがれてきた学問、
それが哲学です。

『読まずに死ねない哲学名著50冊』


 『読まずに死ねない哲学名著50冊』
(平原 卓・著) 

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