感情は守るべきだが法令は守らなくてよい?  
京大生との会話・後篇

相手:たとえば現代日本で、ある少女が子どもの頃、
   父親によって性的暴行を受けたとしよう。
筆者:悲しいかな、地域や時代によってはよくあったことですね。
相手:母親は見て見ぬふりをしていたとしましょう。
   その場合、その少女が父親を殺したら悪いですか?
筆者:基準の話をしなければならないので、基準に応じて悪さは違います。
   仮に法令に基づくなら悪いですね、当然。
相手:何で悪いんですか?
筆者:法令に定められているから。あるいは判例でもいいが。
   そうではなく、現代日本の民衆感情に基づくなら
   「さすがに殺したら悪い」と思う人もいるだろうし、
   「殺して当然だ」と言う人もいると考えられるので、
   悪かったり悪くなかったりします。
   ただ、「性的暴行を受けた場合、加害者を殺してもよい」
   という法令等はないね。
相手:その少女は日本という国に生まれたから
   自然と国籍は日本になったわけですが、
   もしほかの国に生まれていたら父親を殺しても
   悪くなかったかもしれないんですが。
筆者:いや、今は現代日本の話だったろう。
相手:法令なんて守る必要があるとは思えないのだが。
   その少女が現代の日本という国に生まれたのは偶然だろ。
筆者:法令を守る必要がない? 
   それは意味がわからないが、保留することにして、
   それならば法令の代わり何に基づいて
   「殺してもよい」という結論が出るの? 
   たとえばその少女がとある国に生きていて、
   その国では風習として、親に性的暴行をされた場合は
   親を殺してもいいという設定ならそう言ってもらえばよい。
相手:勝手に日本国籍にされて日本の法律を守りなさいと言うつもり?
筆者:「守りなさい」と言うつもりだよ。
   なぜなら、それが理由で守らなくていいと主張するなら、
   「私が日本国籍に生まれたのは自分の意思じゃない。
   『だから』日本の法律は守らなくてもいいので、私は性的暴行をしてもいい」
   という理屈がまかり通ることになってしまう。
   それではダメだろう。
   日本という国において、どういった根拠で「父親を殺して当然」
   という結論が出てきたのかを聞いているのだけど。
相手:レイプ(性的暴行)は悪いことだという認識はおありですか?
筆者:それは当然です。
   日本の法令に基づく限り、ありますよ。
   それに、現代日本の社会風習や文化として悪いという認識もある。
   個人的な感情で言えば嫌悪感だってある。
相手:レイプをした親は裁かれるべきだということはわかりますね。
筆者:はい、法令に基づき裁かれるべきであることはわかりますよ。
相手:法令法令と。法律にいかほどの価値がありますか?
   勝手につくられて。
   国民の大半はどういう法律があるかすら知らない。
筆者:法令じゃなく単なる君の感情に基づくほうがよほど困るんだよ。
   君は何に基づいて「父親は殺されるべきだ」と言い張るのか。
   それを聞いているのだが。
相手:それはレイプした父親は悪いから。
   その少女に殺されて当然という考え方に基づいて。
筆者:それならば、万引きした人も悪いから殺していいですか? 
   その店の店主に殺されて当然?
相手:裁かれて当然ですね。
   殺すまでしていいかどうかは知りませんが、
   裁かれるべきでしょう。
筆者:「裁かれるべき」までは、
   どちらのケースについても同意しているよ、オレも。
   ただ、さっき君は「親は子によって殺されて当然」
   といった旨の主張をした。
   殺してよいというのはどこにも正当性のある根拠がない。
   万引きの例でも同じで、店主が万引き犯を
   裁いていい根拠などまったくない。あくまでも裁判官が裁くべきだ。
相手:へ理屈さんですね。
筆者:君に理屈がないだけだよ。
相手:だったら、レイプでもなんでもすれば?[悪の名言]
筆者:ん? それはちょっと無茶苦茶じゃない?
相手:なんで?
筆者:万引きやレイプをしてはならないという点については、
   お互い同意しているじゃないか。それなのにどうして
   「レイプすれば?」という提案が出るの?
相手:法令は別に守らんでもいいと思うけどね。
   だって知らないルールだもん。
   法律を学ぶのにどれだけの時間がかかる? 
   司法試験を突破するのに、どれほどの時間が必要か。
   もし国民全員が法律を知るために司法試験突破を
   義務づけられたとするとどうなりますか?[悪の名言]
   工事現場のおっさんも窓際のリーマンも、昼も夜も惜しんで
   みんな一斉に法律を勉強しはじめたらどうなりますか? 
   経済が破綻しますが。
筆者:ちょっとちょっと、下らない話にもっていくな。
   「法令を知らないから」とか「司法試験が難しいから」
   ということによっては、君の主張は何ら正しいものとならない。
   また、仮に君の論を半ば認めるとしても、
   殺人が罪になることを知らない人がそうそういるとも思えない。
相手:じゃああなたがスポーツをしていて、
   いきなり知らないルールで裁かれてもいいんですね[悪の名言]。
筆者:そのような自分の知らないルールがあったら、
   自分の勉強不足をまず考えると思う。
   スポーツを真面目にやるのに、ルールを知らないというのは
   よろしくないのではないか?
相手:無知は悪ですか?
筆者:「ルールを知らなければルール違反をしてもいい」が成立するなら、
   「レイプがダメとは知らなかった。だからオレは悪くない」と
   強弁された場合、罪に問えなくなるよ。
相手:何で? レイプは悪だろ。
筆者:ええ? 
   「法令は別に守らんでもいいと思うけどね。
   だって知らないルールだもん」という話は? 
   君は今まさに、
   「法令に関してすべての人に知識をつけさせるのは
   困難だし不都合。法令に関して無知である人が多くいるし、
   それゆえ、法令等は守らなくてよい」旨、主張していたじゃないか。
   大丈夫か?
相手:わかったよ。今度考えてホームページに書いてやるよ。
筆者:え!?いや、今説明できないの? 
   そんな主張をするくらいだから、
   当然思想があって言っているものと思ったが……。
   いわゆる「自分の感情は法令より優先されるべきだ」という
   「人間のエゴ」か……?
相手:何かトラウマやコンプレックスでもあるんですね[悪の名言]。
筆者:だからそうやって
   「議論で追い詰められるのは、
   自分の論理が稚拙だからではなくて、
   相手に性格や性質の問題があるからだ」と
   考えるようなやり方はやめようよ。
相手:ま、オレの仕事はそういう方向には進まないので、関係ない。
筆者:要は君に都合がよければ、あとは君の主観で判断すればOKと、
   こういうことですな。最初の「エゴがうんぬん」の
   高尚な話からだいぶそれましたね。
   ことによると、中絶することよりも、その種の行為のほうが
   よほどエゴではないかと思いますが……。
相手:だから中絶してもいいと言うんですか。
   場合によってはいいでしょう。レイプされた場合とか。
筆者:もう君、考えたり、しゃべったりを試みなくていいですから。
   はじめ、人を殺してよいか悪いかということと、
   自然の摂理という話と、人間のエゴ、という話でした。
   で、君はエゴであるということを基に自然の摂理に反することは
   よくないといった方向に進めた。
   行き着いた結果が、単に君個人のエゴだったわけです。
相手:ただ、何せオレが進もうとしている世界にはそんなものは必要ないので。
筆者:(絶句)


悪の論理には悪の論理を

その後、相手は同じような主張を、
いくつかの具体例を出して展開した。

しかしながら、法令的根拠や風習的根拠等を一切示せず、
ただただ彼自身の
「殺してもいい場合がある」「中絶は悪だ」という
思い込みが垂れ流されるばかりだった。

さて、少しこれを振り返ろう。
主要部分を取り出して述べる。

相手は「性的暴行をした加害者は悪いから、
その被害者の少女に殺されて当然」と主張した。

こんなものは現代日本ではまったくデタラメな発想だ。

そこで筆者は、悪の論理を用いて、
論理的矛盾を明確化する技法を使った。

単に「それはデタラメだ」と指摘するのではなく
(それでは面白い会話にならない!)、
「それならば、万引きした人も悪いから殺してよいですか? 
その店の店主に殺されて当然?」と聞き返すことにした。

相手と同じ悪の論理を用いて変な結論にたどり着けば、
矛盾を示せる。

ここで相手は苦しくなる。

「殺すまでしていいかどうかは知りませんが、裁かれるべきでしょう」
と言うのがやっとだ。

そこで追い打ちをかける。

「『裁かれるべき』までは、どちらのケースについても同意しているよ、オレも。
ただ、さっき君は『親は子によって殺されて当然』といった旨の主張をした。
殺してよいというのはどこにも正当性のある根拠がない。
万引きの例でも同じで、店主が万引き犯を裁いていい根拠などまったくない。
あくまでも裁判官が裁くべきだ」
と畳みかけるわけである。


「義憤感情」の根拠はどこに?

ここで相手は「へ理屈さんですね」とのみ、言い返してきた。

「へ理屈」と「理屈」の定義の違いを
ぜひ教えてもらいたいものだが
(おそらく、人は自分の気に食わない理屈のことを、
それが仮に正しくても「へ理屈」と呼ぶクセがある)、
それはひとまず置いておこう。

それに続く相手の発言がこれだ。

「だったらレイプでもなんでもすれば?」

まったくスジが通っていない。

筆者は、レイプが法令等にのっとり、
悪だということにきちんと同意している。

その後の相手は見ていただいたとおり、
もはやただの変な人に成り下がる。

「法令は別に守らんでもいい」
「偶然日本に生まれて、なぜ日本の法令を守る必要があるのか」
「世の中の全員が司法試験突破を義務付けられたら経済が破綻する」……。

結局最後に、相手は、
「オレの仕事はそういう方向には進まないので、関係ない
(筆者に言い負かされても自分には損にならない)」
という態度に陥ってしまった。

自然の摂理に反するかどうか、
人を殺してはならないのか、
といった原理的な話をしていたはずが、
相手は自分が並べた前提をすべて放棄して
「自分の損にならないから、よい」という
子どもじみた主張に舞い戻ってしまったわけだ。

これがただの人なら「バカな人だなあ」ですむ話だが、
当時現役の京都大学生だったのだから酷い。

そうはいっても、実は
「とても悪いことをした人は、殺されて当然だ!」
といった義憤感情のようなものを漠然と持っている人は、
決して少ないわけではない。

しかし、実際に文章として根拠を探りながら書き出させて、
このように議論してみると、
本当にこの水準の悪の論理を振りかざすしかなくなる人が、
大多数とは言わないにしても、少なくないのである
(嘘だと思うなら、この手のやり取りをしている掲示板を
ネットで観察してみるといい)。

それは、普段から
「論理的に考えるクセ」をつけていないことや、
思想を知らないことなどに由来する。
場を支配する「悪の論理」技法
  『場を支配する「悪の論理」技法』
(とつげき東北・著)

 ※書籍の詳細を見たい方は、
 上の画像をクリック!
 
1位目指してがんばってます!
ポチっと応援お願いいたします!