▪ ダメな議論

第吃瑤任蓮
「どこかおかしな発言や主張」
などを取り上げることで
「悪の論理」が実際に使われている場面を紹介する。

どういった言葉が、一般的にどうおかしいかという
細かい「理屈」については、基本的に第局瑤望り、
まずは「何か変だぞ」という違和感を感じ取っていただきたい。

さっそくだが、ある会話を見てみよう。
 
2006年頃、筆者とWeb上でしばらく交流のあった
京都大学生(当時)との間で行ったチャット会話である。

あまりにもレベルの低い
やり取りだと思うかもしれないが、
事実、本当にあった話だ。

我慢して読んでみてほしい。

なお、閉じられた環境で話した内容なので、
著しく品位に欠ける言葉や低俗な喩話、
あるいは言い争いがいくつか出てくる。

気分を害される人もいるかもしれないが、
どうかお付き合いいただきたい。

そもそもは、避妊薬について会話していた際の会話である。


「中絶したことがおありなんですね? 」 
京大生との会話・前篇

相手:ピル(避妊薬)っていうのは、人間のエゴだよね。
筆者:ん? 漠然としていて意味がわからない。
相手:ようするにさ、自然の摂せつ理り に逆らおうとしてるわけでしょ。
筆者:「自然の摂理」と言われても︙︙どういうことを主張している?
相手:男女が相応の行為をして、精子と卵子が結びつけば妊娠するというのが
   自然だと思う。それに逆らって、本来生まれてくるべき命を、
   人間のエゴで殺してる。そんな気がするんだ。
筆者:それはまた、ある意味では自然の摂理に反した考え方だな……。
相手:反した?
筆者:自然の世界に、「本来生まれてくる『べき』もの」が
   存在するというのは変な話だ。「本来○○すべき」というものは、
   それこそ人間がエゴで決定する概念だろう。
相手:そう?
筆者:それなら避妊薬に限らず、結核菌に対する抗生物質なども
   同じではないか? 「本来結核になる『べき』人間」が
   結核にならないのは、君の主張によれば、自然の摂理とやらに
   反しているように思うが。
相手:まず、中絶は殺人であるかどうかというところから
   考えなければならないかな。
筆者:それより根本的に、殺人がそもそもなぜ悪いのかから
   考えなければならないだろう。
相手:もっともだ。
筆者:殺人が「悪い」という判断は「自然の摂理」などではなく、
   人工的な判断でしょう。
相手:動物は他の動物を殺して生きてるからな。
筆者:うん。人間のエゴでつくるのが「殺しはよくない」とか
   「中絶は悪だ」とか「本来生まれてくるべき」とか
   そういう諸概念かと思うが。
相手:中絶したことがおありなんですね。
筆者:はて? 今、文脈上最も意味のない質問が……。
相手:殺されるのが必然であれば殺人も正当化されるべきであるが、
   そうでない場合は悪ということになりますね。
   必然であるということは殺される必要があるということですね。
筆者:ええ? ちょっと待った待った。意味が全然わからん。
   言葉を正しく定義して話してよ。
   ええと、「殺されるのが必然であれば、殺人も正当化されるべきである」
   という主張について、説明をしてくれ。具体的にたとえば?
相手:たとえば東大寺くんの放火事件。
   弟と妹は殺されるべきではなかったが
   父親は殺されるべきであったといえるでしょう。
筆者:ん、それはどんな根拠に基づいて?
相手:基準が欲しいんですか?
筆者:当然でしょう。まさか個人の感情とか、
   個人の集合としての民衆がかもし出す雰囲気に基づいて? 
   それとも何か殺人を正当化する法令等に基づいて言っている? 
   なぜ君は「殺されるべきであった」と言ったの?
相手:それは、将来性のある子どもを苦しめることは罪だからです。一般的には。
筆者:親を殺すことも一般的には罪ですね? 
   こちらは法令に根拠を持っています。
相手:だが、殺していい場合もある。
筆者:だから何に基づいて? 将来性のある子どもを苦しめることは
   罪という誰かの意見に基づいて?確かに子どもをそのように
   苦しめることは罪だけど、だからといって殺していいという
   根拠はないよね?


謎の問題意識からはじまるぼやけた主張 
「エゴはよくない」というエゴ

長くなるので、ここまでで一度振り返ろう。

超下らない言い争いだ、と思う方もいれば、
相手の主張が変だと感じる方、
筆者の発言が過激すぎると不快になる方、
いろいろいるかもしれない
(あいにく、本書の読者はあなた1人だけではない!)。

だが、こういった戯たわむれが「悪の論理」には
ぜひとも必要なので、ここでまず簡単に
相手の「論理」の誤っている点を確認していこう。

最初に相手は、「ピルは人間のエゴである」旨の発言をしている。

物事を熟考するタイプの人間なら、
あるいは哲学を少しでもかじった人間なら、
「エゴとは何か」「エゴではない行動は存在するのか」
ということを考えたことがあるはずだ
(大丈夫、そんなことを考えたことがなくとも、
本書を読み終わる頃には自然とそれができるようになっている)。

そこで、筆者は
「漠然としていて意味がわからない」
と返したのだ。

最低限、エゴを定義し、
エゴでない行動の例を示したうえで、
それに対して「ピルはエゴであり、よくないことだ」と
説明されなければ、納得しようもないからだ。

ところが、それに対する相手の答えは、
「自然の摂理に逆らおうとしているから」
といったものだった。

「自然の摂理」、これも説明が必要な言葉だ。

自然の摂理とは一体何か。

人が普通に食物を食べ、排泄し、
睡眠するようなことだろうか。

その延長として、性交し、子どもを産み育てることなのか。

もし仮にそうだとすれば、時に罹患し、
場合によっては重篤な状態に陥ることも
自然の摂理と呼ぶべきかもしれない。

相手は「本来生まれてくる『べき』命を」という概念を出すことで、
その命を奪っているのは人間のエゴだと結論づける。

「自然の摂理に逆らっている!」ということなのだろう。

しかし、「○○である『べき』」という考え方こそ、
「自然」の摂理とはまったく逆の考え方とも言える。

人間が天災から守られる「べき」か、
犠牲者を数多く出す「べき」かは、
人間が決めることだ。

確かに、普通に考えれば、
人間にとって人間は天災から守られる「べき」だろう。

だが、それは自然に身を任せた結果ではない。

それこそ、人間が自分のために考え出す発想だ。

だから筆者は
相手の「本来生まれてくる『べき』命」という言葉に対して、
「本来結核になる『べき』人間」という、
構造上同じになる言葉を並べ、
結核菌に対する抗生物質投与等もまた、「人間のエゴ」であり、
「自然の摂理」とやらに反した行為に該当するのではないか、
と投げ返したのである。

自然的か人工的か、
という観点でいえば、
ピルも抗生物質も同じだ、と。

これに関する相手からの反論は得られていない。

相手は次に、
「中絶は殺人であるかどうか」を考えるべきだと提案してきた。

しかし筆者はもっと根源的な問題、
つまり「殺人がなぜ悪いのか」から
考えなければならないだろうと返答した。

加えて、繰り返しになるが、
人間が人間の都合で決める事柄が
「殺人はよくない」とか「中絶は悪だ」、
あるいは「本来生まれてくる『べき』」と
いったものであろうと主張した。

このあたりは非常に原理的な主張なので、
今この段階では「この著者は何を考えているのか」
「殺人はダメに決まっているだろう」と
思われる方もいるかもしれないが、
読み流していただきたい。

だが、それに対する相手の反応は
「中絶したことがおありなんですね」というものだけだった
(もちろん、筆者にそのような経験はない)。

これは完全に相手の悪の論理である。
筆者の主張が仮に変なものであれ何であれ、
正しく反論をすべきだ。

それなのに、筆者が
「中絶はよくない、というのは人間が勝手に決めたことだ」と
いったことを言うと、それに対してまともに答える代わりに、
「相手がそんな主張をするのは、中絶をしたことを正当化するためだ」と
勝手に解釈したのである。

これはおかしい。


こんなバカ、本当にいるの?

続いて、相手は驚愕の主張をしはじめる。

「殺されるのが必然なら、殺人も正当化される『べき』だ」と
言いはじめたのである。

あまりにも唐突だったのと、
文章としての完成度が低いのとで、
意味を汲み取れず、聞き返してしまった。

相手によると、
「とある放火事件で、子どもを虐待していた父親は殺される『べき』
だったが、巻き添えとなった人々は殺される『べき』ではなかった」
ということらしい。本当だろうか?

相手が「父親は殺される『べき』だった」と言うので、
筆者はあえて常識的に、その基準を問うた。

「何に基づいて」そう主張するのか。

「殺人を正当化する法令等に基づいて?」
「なぜ君は『殺されるべきであった』と言ったの?」と念を押した
(日本法の下、たとえば「緊急避難」の場合、殺人が正当化されうる)。

すると返ってきたのが
「将来性のある子どもを苦しめることは、罪だからです。一般的には」
というものだった。

これもおかしい。

なぜなら、言うまでもなく、
親を殺すことも罪だからだ。

同じ罪のある行為なのに、
片側だけに肩入れして語るのでは、説明になっていない。

あまりにもツッコミどころが満載で辟易してしまう。

「こんなバカなことを言うヤツが本当にいるのか?」
と疑う方もいるだろう。

−−答えを言おう。いる。たくさんいる。

むしろ、世の中の多くが、
口には出さないにしても
「この程度」の論理しか持っていなかったりする。

「なぜ人を殺してはいけないの?」と子どもに聞かれたときに、
すぐに正しくわかりやすい説明ができない人が多いのと同様に。

こういったダメな会話と出会った際に、
相手にするのも面倒だからと
「そうなのか〜」と投げやりに思考停止すれば楽だ。

しかし、いつもいつもそうやって流していては、
悪の論理に対抗できるようにも、操ることが可能にもならない。

筆者は昔からこうした会話を繰り返してきたのだが、
友人らから「よく続けられるな」「どうして飽きないの?」
などと呆れられたものだ。

しかし、いろいろな「ダメな考え方」について、
一つひとつ、どこがどうおかしいかを明確に文章化し、
さらに「人々がよく使うダメな考え方」をパターン化することで、
はじめて悪の論理の構造を知ることができるのだ
(幸い、本書ではすでにそれを行った結果を、みなさんに提示する)。

仮にこれから諸賢が出会うかもしれない「相手」が
ここまでバカでなかったとしても、本書を最後まで読めば、
彼らの主張のツッコミどころを瞬時に見抜き、
それをネタにして笑い飛ばせるレベルの
知性を得ることができるようになる。

そうなるまでに、もう少しこの駄弁を御覧いただきたい。
場を支配する「悪の論理」技法
 『場を支配する「悪の論理」技法』
(とつげき東北・著)

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