ニーバーの仕分け
変えることのできるもの/できないもの

用途と用例
◎問題や困難に圧倒されるとき。
◎問題のどこから手をつけていいかわからないとき。


=レシピ=
(1)問題や課題を細分化する。
→問題はより細かく細分化するほど、変えやすい部分を見つけやすい。
しかし問題に取り組んでみないと、どのように分ければいいかわかりにくいので、
当初は大雑把に分けておき、後でやり直すといい。

(2)細分化したそれぞれの部分について、
  変えやすさ(可変度)について点数づけする(表にするとわかりやすい)。 
→なぜその点数にしたか、根拠をメモしておく。

(3)可変度がゼロか低いものは(少なくとも当面は)受け入れるしかない。
→変わらないことを前提に他の部分に手をつけることを考える。

(4)可変度の高いものについて問題解決に着手する。
→すでに細分化できているので容易さと重要度を評価すると、
ぐずぐず主義克服シート(→202ページ)になる。
ぐずぐず主義克服シー トは、動機づけや進行管理に使える。

(5)いくつかの問題の部分に手をつけた後や、時間が経った後に、
  もう一度この表 をつくり直してみる。 
→改めて問題に取り組んでみると、さらに細分化できることが多い。
細分化が進むと、かつては変えられないと思えたものの一部に
いくらか変えやすい部分が発見できる。


=サンプル=
レポートを書く

これは可変度の高い(変えやすい部分が多い)例である。

締切やテーマは守らねばならないが、
テーマの解釈、題材の選択、構成はかなり可変度が高い。


息子の引きこもりを解決する

こちらはかなり解決の難しい問題であり、
可変度が低い(変えやすい部 分が少ない)例である。 

「他人の行動は変えられない」とすれば、
この部分を細分化しても、
可変度の高いものはほとんど出てこない。

しかし人の行動は単独では成り立たず、
相互行為として生起することを考慮すれば、
息子に対する周囲の行動もまた、
問題の一部として取り上げるべきである。 

このように細分化を進めることで、
可変度の高い部分を探すことができる。 

これらの分析は、絶望的な問題状況の中で
「何ができるか」を探すのに役立つ。

スケーリング・クエスチョン(→341ページ)や
ミラクル・クエスチョン(→272ページ)も参照のこと。


=レビュー=
*平静の祈り

この技法は、
ニーバーの祈り(Serenity Prayer)として知られる
次の言葉を技法化したものである。

God, grant me
the SERENITY to accept the things I can not change; 
COURAGE to change the things I can;
and WISDOM to know the di erence.

神よ、与えたまえ。 
変えられないものを受け入れる平静な心を、 
変えられるものを変えていく勇気を、 
そして、その両者を見分ける知恵を。

原語の serenity を邦訳して、日本では
「平静の祈り」「静穏の祈り」とも呼称される。


*ニーバーのキリスト教的現実主義 

この言葉の作者とされるラインホルド・ニーバーは、
アメリカのプロテスタント神学者、倫理学者であり、

カール・バルトやパウル・ティリヒと並び称される 
20世紀の代表的神学者であるだけでなく、
知識人から政府中枢に至るまで、

世俗的世界に対しても広範な影響を与えた
現代では稀有のキリスト教思想家である。

その思想は、とくに政治学界で
ジョージ・フロスト・ケナンや
ハンス・モーゲンソーや
アーサー・シュレジンジャーら

いわゆる〈現実主義者(リアリスト)〉たちの〈父〉と
目されるほどの影響力をもった。

ニーバーの神学は、自由主義神学や、
そこに含まれる近代的で楽観的な人間観への批判を含んでいた。

人間についての近代的楽観主義は、
人間の善への期待から理想主義へと進むが、
ニーバーはこの理想主義に自己愛の発露を見いだした。

自己の善良さへの着目が高じると、
人間が独力で善良さを達成しうるという結論へと
飛躍することになる。

ニーバーはこの飛躍をプロメテウス的思い違いと呼び、
厳しく批判した。

この思い違いこそが、
理想主義(ユ ートピアニズム)やメシアニズム、
その他の人間の完全性に対する
あらゆる信仰の根となるものである。

ニーバーはこうした理想主義に対抗して、
プロテスタントの伝統から、

罪は世界の一部であること、それゆえ、
正義は愛に優先すること、
平和主義は愛の尊い象徴であるが悪を防ぐことはできない、
という思想 を引き出す。

歴史に究極の目的を与えることや、
不和も対立もない社会をつくることは、

人間の力で叶わぬことである、
人間には神の代わりはできない、
人間の完全性を信仰する思想は、傲慢の罪を負っている――。

しかし楽観主義の否定は、悲観主義でも、
世界の悲惨に対する諦念でもない。

人間の善への期待が理想主義へと赴いたのに対して、
ニーバーの悪の存在についての注視は、
彼を現実主義の方向へ導いた。 

またリベラリストが理想主義ゆえに扱いそこねた
社会における利害の対立や権力の問題についても、

罪(悪)を世界の一部とするニーバーは、 
その存在を認めることなしには、
社会の有り様を認識し分析することも、 
そこに正義を実現することもできないと断じる。

社会における正義とは、
競合し合う集団の均衡をもたらすものであって、
永遠の平和や対立なき社会を約束するものではない。

けれど、見通しのきかないこの世界にあっても、
有限の存在に過ぎない我々が手にできる、
ささやかだが大切なものである。

ニーバーの祈りは確かに、
こうしたリアリストが説くにふさわしい言葉に思える。


*変える勇気――問題解決が少なすぎる 

一般の人たちが実用できる
心理学・認知科学の知見を、問題解決を軸にしてまとめた
「Ideal Problem Solver」の著者である心理学者の
ブランスフォードは、

この書の冒頭、
問題と問題解決の機会は見過ごされがちであり、
実際の必要に比べて問題解決の試みは足りていないと指摘している。

認知されずに見過ごされた問題についての統計は存在しないが、
身近な例証としてJ・D・ブランスフォードは、
カタログショッピングにあるさまざまなアイデア商品を挙げている。

カタログに載るさまざまな発明商品の多くは、
その商品を見るまでは気づかなかった
(意識に上ったことがあっても忘れていた)ニーズが
どれほど我々の日常に転がっているか
(そしてほとんどは放置されているか)を示しているという。

なぜ多くの問題は認知されずに見過ごされるのだろうか。

理由の1つは我々の認知の偏りにある。

社会心理学、災害心理学などで言われる
正常性バイアス(Normalcy bias)は、

災害や事故に関して自分にとって
被害が予想される状況下にあっても、

都合の悪い情報を無視したり、
「自分は/今回は/まだ大丈夫」などと
危険度を過小評価したりしてしまう傾向をいう。

もう一つ考えられるのは、
問題解決自体が、問題と同じぐらいに
厄介事として扱われる可能性である。

問題解決は、多くの場合、
これまでと異なる行動を必要とし、
実際に行うことが多い。

これは、互いに予期しうる
お決まりのパターンを逸脱することにつながる。

実のところ、
周囲が問題とせずやり過ごすところで立ち止まり、
これは問題だと言挙げすること自体、
人びとの期待を超える行動なのだ。 

人びとの期待をかき乱し、
これまでになかった行動を
円滑な日常の中に挟むのは、勇気がいる。

問題解決者は、
多くの人が気づきながらもやり過ごすところで、
あえてリスクを取る人である。


*見分ける知恵 

ある問題が解決可能かどうかを
事前に判断することは容易ではない。 

というのも、我々が問題の全容を知るのは、
かなり深く問題解決に取り組んだ後であることも
珍しくないからである。

哲学者のカール・ポパーは、
その計画がユートピア的か否かを判断する基準は、
計画の立案と実施に必要な事実的知識を
我々が持ち合わせるかどうかだと考えたが
(→キャメロット、50ページ)、

問題解決に際して何が必要な知識であるかも、
問題解決を進めてみなければわからないことが多い。

ニーバーの祈りが求めるのは、
これとは別の基準であり、
変えられるものと変えられないものを見分けることである。

しかし、この見分けもまた簡単なことではない。

ある事象を変えられるか否かは、
さまざまな状況や関連事象によって変わり、
ある意味、程度の問題だともいえるのである。

ならば、変えられるか否かの二分法にとらわれず、
変えやすさを数値のスケールで判断した方が実用的であると考え、
「ニーバーの仕分け」 として技法化を行った。
問題解決大全
『問題解決大全――ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』
読書猿 (著)


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