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祈りとは、みなさんにとってはどんなものですか?

大切な誰かに想いを馳せること?

言えなかった一言を心でつぶやくこと?

願いが叶うようにお願いをすること?

幼い頃のわたしにとっての祈りは、
見えないけれども確かにいる、
大いなる存在の神との二人きりの時間でした。

その時間に、神と二人でお話ししたことが、
無言でいつしか目の前に届く不思議。

だからいつも、

「神さま、ありがとう」

それだけをおもっていました。

この不思議な経験を、
大人は「奇跡」と呼ぶことを知りました。

その贈り物は、
ある時は、形のあるプレゼントだったり、
愛する人からの素敵なお誘いだったり、
自分の夢が、その通りになることだったり……

そんな形をしています。

けれども、別々の贈り物に見えるものの中には、
全部、同じものが詰まっている……

それは神からの、わたしたちへの愛です。

ただ、いつも神のほうから届く、無条件の愛です。

なぜならわたしは祈りの中で、
神にしか話したことがなかったから……

神とわたしだけしか、
わたしのほんとうの想いを知らないのに、
わたしは、何ひとつ自分では創ってはいない。

ならば、それを届けてくれたのは、
神しかいないのです。

こんなわたしのスプーン一さじほどの祈りを、
神はいつだってすべて、届けてくれました。

きっとたくさんの人たちが、
この祈りの秘密を知っているのだとおもいます。

けれどもきっと、
時々忘れてもしまうのだとおもいます。

よろしかったら感謝の中で、受けとってください。

この祈りの本を開くことで、
愛の贈り物を、もう一度。




それは小さな、祈りの物語のはじまり

「心の中の大いなる存在(神、創造主、宇宙)に
 お祈りをすると、必ず与えられる」

この目には見えない完璧(かんぺき)なルールが
在(あ)ることに気がついたのは、たぶん、
わたしが五歳くらいの頃だったとおもいます。

母方のおばあちゃんとおばさんが
プロテスタント派のクリスチャンでしたので、
ドイツ人宣教師の先生がいらした教会に
幼いわたしをよく連れていってくれて、
いつも一緒に神の愛へ感謝の祈りをしていました。

教会で教わる、イエスが神の愛への
感謝の祈りを捧(ささ)げて、
神の愛の優しさについてお話しする姿。

イエスが神に祈ると、
病や悲しんでいる人たちが癒される奇跡が現れて、
たくさんの人々が苦しみから解き放たれる、自由。

祈りを通して次々と奇跡を受けとり与える
イエスを想像しては、
心に広がる映画館に夢中になって、
わたしはどんどん内側へ潜っていく
子ども時代を送りました。

「ふと奈津子ちゃんを見ると、
 物思いに耽(ふけ)っている時間が多い子です」

「廊下で奈津子ちゃんを見ると、誰もいないのに、
 まるで誰かとお話ししている姿を
 よく見かけるのです」

幼稚園や小学校の教師からの連絡帳にも、
よくそう書かれるようになりました。

あの頃のわたしは、
実は物思いに耽っていたのではなくて、
いつも神に祈っていたのです。

祈りを通して、
優しい愛を生きるイエスに憧(あこが)れて、
真似(まね)をしていたのだとおもいます。

祈りの中で目には見えない神を心で感じ、
まだ誰にも伝えてはいない
わたしの心の秘密や願いや想いを、
神と二人きりで内緒話をしている時は、
ほんとうに深い安心感があったからです。

日常でふと感じた小さな気づきや願いを、
祈りの中で神へ質問し、
おしゃべりをしているうちに、
いつしか自然に祈りが
わたしの習慣となっていきました。

すると、祈っている間のふとした瞬間に、
すうっと祈りが深まる時を
感じるようになっていきました。

それは、心よりももっと奥のあたりから……
何かあたたかな気配が、
わたしの胸の奥が中心点となって
三六〇度に広がっていき、そのあたたかさに、
わたし自身が大きく大きく包まれていくような
感覚になっていくのです。

そして、祈りの中で

「わたしの中からの、
 大きくあたたかなものに包まれていく感じ」

が起こると、祈ったことの答えが、
必ず現実となって現れはじめました。

クリスチャンのわたしは毎日神へ祈りますが、
日常生活でのあらゆる願い、人間関係、仕事……
祈りによって、今もすべてのことが
具現化されていきます。

わたしは日々、
祈りによって与えられた奇跡体験を、
感謝の想いでただ受けとるだけの、
愛に満ちたとてもシンプルな暮らしをしています。

これからお話しさせていただく、
わたしが受けとってきた祈りの力、
祈りが答えられ、
与えられた奇跡のケーススタディ。

これらはすべて、幼いわたしと神との内緒話が、
気づきの灯(あか)りを点(とも)し続けた、
小さな感謝の祈りの連(つら)なりです。

神は今でも静かに、
わたしが心で狒曚"犂兇犬"という仕方で、
祈りの中での気づきの灯火を使い、
あたたかな愛の奇跡体験を
与え続けてくれています。

ですから祈りとは、
「子どもだったわたしにもできた」
とても簡単なものです。

簡単なのですが、
ただちょっとだけ、
繊細な秘密があるのです。

神の声が教えてくれた、
誰もが祈りから奇跡体験を受けとることができる
微細な秘密は、整理をすると9つあります。

その秘密を、わたしがすべてほんとうに体験した
奇跡の実話を交(まじ)えながら、
お伝えしたいとおもっています。

奇跡をおこなう完璧な存在については、

大いなる存在、宇宙の力、神、イエス=キリスト、
聖母マリア、聖霊(ホーリースピリット)、
エンジェル、仏陀(ぶっだ)、
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
氏神、女神、弘法大師(こうぼうだいし)、
ご先祖など……

どうぞ、ご自分の大切にされている
存在の呼び名に自由に置き換えて、
お祈りをしていただけたらとおもいます。

「わたしが大切に想うものに、
 わたしの心だけは自由に捧げたい……」

悲しい時もうれしい時も、
いつも大切にしたかった想いをすべて、
どんなことも飾らずに
神に正直に祈ってきましたので、
心が偽りに縛られたり、
押しつけられたりすることのないよろこびを、
わたしは知っています。

その自由さを、みなさまお一人お一人にも、
心から望んでいます。

みなさまの大事な世界観を壊すことなく、
どうかお互いの信仰や想いを
そのまま大切に認めあいながら、
祈りの世界に触れていただけたら……
とおもっています。

そして、9つの祈りの法則を通りながら、
祈りが自然な奇跡を起こしていくプロセスを、
丁寧に見つめていきたいとおもっています。

「わたしたちは愛されている。
 ゆえに、祈りを通して
 奇跡だけが与え続けられる」

この法則そのものが、神、宇宙から
の愛の贈り物だったことを、
たくさんのケーススタディをベースに、
みなさんとわかちあっていきたいのです。

ですから、この本を読んでいただくだけで、
みなさまが大切にされている想いや願いの
ひとつひとつが愛の道具として使われて、
奇跡体験を誰もが受けとることのできる
神の完璧な愛の采配(さいはい)に、
今ここで、感謝の祈りを捧げます。

なぜなら、心からの感謝の祈りの中で今、
すでに受けとった奇跡だけが、
必ず完璧な神の愛によって成されるからです。

「そうなるのかな……できるのかな?」

と不安になったり、
揺れ動いたりする不安定なわたしが、
祈りによってみなさんのために
奇跡をおこなうのではありません。

わたしはただ、完璧な存在から必ず与えられる
奇跡体験に感謝をしているだけですので、
どうぞご安心ください。

奇跡とは、
揺れてしまうわたしたちの感情や心とは、
まったく関係のない場所に、
どなたにも、もうすでに用意されているものです。

奇跡とは、完璧な神の愛の領域です。

わたしたちの、不安や怖(おそ)れなどが
まったくない領域に、

「最初からすべて創られて
 用意されているものであり、
 見つけてもらうのをただ待っているだけ」

という、計り知れない光速の、
完璧な仕組みこそが奇跡なのです。

振り返れば、祈りを忘れて
愛から離れようとしたこともありましたが、
胸の灯火がいつも呼び続けてくれたからこそ、
わたしは今ここにいます。

「あなたは愛されている。
 あなたのどんな願いも想いも愛されている。
 あなたの願いと想いをすべて、
 愛の奇跡に戻します」

そう、わたしを呼び続けてくれた、
あの声なき声に今日もまた出逢(であ)うために。

「わたしが祈りの愛から離れようとしても、
 いつもただ無条件に
 奇跡体験を与えてくださり……
 ほんとうにありがとう」

そうお礼を言いに、わたしから三六〇度に広がる、
あのたったひとつの愛という、
大きなあたたかなものに包まれていくゾーンへ
還(かえ)っていくために。

わたしは今日も、祈ります。

これは、幼かった頃から何も変わることのない、
祈りの物語のはじまりです。


神さまが味方する すごいお祈り
神さまが味方するすごいお祈り
佐川奈津子 (著)


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