こんにちは。フォレスト出版編集部のXです。
フォレスト出版のブログは私から見ても売り込み臭く感じることがあるので、HPリニューアルを機に、たまには少しだけ脱臭した記事をお届けします。

今回ご紹介したい本は同僚が編集した2017年1月の新刊『アイデア大全』(読書猿・著)です。
副題に「創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール」とあるように、古今東西、さまざまな分野から渉猟したアイデアの道具箱。
 アイデア大全
著者は読書猿さん。正体不明で博覧強記。じつは読書鼠、読書牛、読書虎……を名乗る人たちもいて、「その中でも読書猿は最弱」「いや、読書猿こそ最強」などと、専門家による分析が絶えない人物です。
もちろんそれは冗談ですが、あるブロガーが東に千夜千冊があれば、西に読書猿ありと語るほどの読書量と博識を有する人物であることは間違いありません。

本書は実用書であると同時に人文書であることを目指している。
――著者「まえがき」より

とあるように、本書は単なるマニュアルには収まらず、その底にある心理プロセスや、方法が生まれてきた歴史あるいは思想的背景にまで踏み込み、知の営みの縱圓里弔覆りを説いていくかなり重厚な本。
心理学の手法かと思っていたら芸術と繋がっていたり、マーケティングの手法かと思ったら呪術と繋がっていたり……。本来独立しているように見えたそれぞれの分野が、知の営みという大きな流れの中で共鳴しあっている様が感じ取れ、読むだけで頭が良くなった気がします。
ということで、本書の構成に倣い、味気ないマニュアル的な紹介を避け、少し角度に変化をつけて本書の魅力に迫ってみたいと思います。(※以下敬称略)

突然ですが、私は小説家の島田雅彦の作品が好きで、ほぼ購入&読破しています。
社会人になって十数年、忙しさにかまけて書店の文芸コーナーから遠ざかることが多かったので"ほぼ"となっているのが悔やまれますが、最近また読むようになり、近々完全読破をしたいと目論んでおります。
島田作品のどこがいいのか?
読む機会になかなか恵まれなかった(ゆえに作品は5、6冊くらいしか読んでいないので語る資格はないとお叱りを受けるかもしれませんが)村上春樹の作品と比べてみましょう。

本好きの方なら一度は目にしたことがあるでしょう、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で3万人近くが「参考になった」と評価したドリー氏の伝説のAmazonレビュー「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」。ここからの孫引きですが(その時点で私の知的怠惰を疑われるかもしれませんが、まあそうした評価は甘んじて受け入れるとして)、作家で学者の齋藤孝がある村上作品を「これは僕のなめた孤独とは違う」と評した、とありました。
これを目にしたとき、私は膝を打つ思いでした。
ほとんどの方にも、孤独に飽きるほど孤独だった時期があったはずです。ご多分に漏れず私もそうした時期がありましたが、そんなときふと妄想するのが「空からアスカみたいなツンデレ美少女が降ってきて、その子との奇妙で少しエッチな共同生活が始まらないかな」といったクソみたいなラノベ展開です。
「んなことがあるわけない」とすぐに正気に戻るのですが、驚いたことに世界的に評価されている純文学の小説家の作品の中に、そんな世界があったのです。
完全に私の偏見なのかもしれないのですが、村上作品の主人公はたいがい「孤独な男、しかし勝手に女が寄ってきて、あれよあれよとセックスに至る、生まれながらの引き寄せ体質」「ヤリチン紳士」というイメージがあります。
まだ世間をほとんど知らない、孤独に苛まれていた当時の私は、「これがセカイの現実なのか……」と壮大な勘違いをし、春樹ワールドと自らが置かれた境遇のギャップ、そして将来を案じ、さらに孤独を深めたものです。

物語の構成のセオリーとして、たいがい冒頭で主人公の前に壁が立ちふさがります。壁というのは、合宿先で突然起こった殺人事件とか、自殺した友人の元カノが真相を探るために突然尋ねてきたとか、たまたま入ったバーのマスターが「7つの習慣」の実践者だったとか……。突然空から降ってきた美少女もそうですね。厄介事に限らず、平凡な日常を一変させる可能性を感じさせる何かです。
要するに、受動的な主人公のところに運命のほうから勝手にイタズラしてくれるわけです。村上作品の主人公の場合もご多分に漏れず(それどころか、少しイケメンで孤独な男だと小説の主人公としてはキャラが凡庸すぎるからか)、羨ましいほどの引き寄せ力を与えられています。

一方、島田作品の登場人物はどうか。
これまた私の偏見なのでしょうが、自ら進んで壁をつくってはぶっ壊しを繰り返しながら展開するタイプです。
最近、Kindle Unlimitedで読んだ島田作品『往生際の悪い奴』(日本経済新聞社)では、55歳の辣腕弁護士・三島が、惚れてしまった20歳そこそこの美人女子大生・絵美里の入浴シーンを覗くために、おのが人生を葬る覚悟で旅館の部屋の押入れの中に隠れるという、村上作品では拝めないような(?)シチュエーションが描かれています。

さあ、これから一世一代の愚行を始めるぞ、と三島は自らにいい聞かせる。こういうことは斜に構えたりせず、真剣に取り組まなければならない。少しでも恥じらいや自己批評が入ると、途端にバカらしくなり、せっかくの準備が台無しになる。
――『往生際の悪い奴』
往生際の悪い奴

この、愚行と理解しながらも、全力で挑戦しようとする姿……。
やけっぱちになりながらも計画は用意周到……。
元SMAPの稲垣吾郎やお笑い芸人の光浦靖子がオススメし、私も傑作だと思っている『僕は模造人間』(島田雅彦、新潮文庫)では、主人公の亜久間一人(あくまかずひと)は恋人を相手に念願の童貞卒業が叶うと思われた刹那、急に恋人の前で自分のモノをシゴキだします。
主人公は凡庸なストーリーに甘んじることを拒否し、新しい展開を構築していくのです。グロテスクなほどの自意識が起こさせたこの衝動的な行動は、読者の中の「恋愛物語」を「恋愛ごっこ」にまで矮小化します。その落差に、当時10代だった私のロマンティックな(イカ臭い)恋愛観にも多少の傷がつけられた気がします。
で、何が言いたいかというと、引き寄せマスターならいざしらず、私のような凡庸な人間がのほほんと生きているだけでは、村上作品のように、決して運命のほうからドラマを見せてくれないということ。
むしろ、島田作品の登場人物のように、何かをぶち壊してでも自分で運命を翻弄することが、人生に退屈しないコツではないかというものです。

さて、前振りが異常に長くなってしまいました。
ここからが本題です。
「破壊なくして創造なし」とは誰の言葉だったか忘れましたが、島田雅彦作品に見られるような自主的な破壊的創造法が『アイデア大全』では紹介されています。
それが1番目の手法「バグリスト」と13番目の手法「P.K.ディックの質問」。
「バグリスト」というのは、簡単にいえば、ある事柄について徹底的にダメ出しを繰り返し、そのリストを発想の着火剤にするというもの。じつは『アイデア大全』は次のような巷のアイデア・発想法の本についてのバグリストから構想されています。

◎古くさい。
◎先達の引き写し。
◎訳されてない海外のアイデア本のつまみ食い。
◎なのに出典がない。
◎評価法がないから改善されない。
◎技法のどの部分が役立って、どの部分はいらないかを知る方法がない。
◎個人の体験、思い出だけが根拠。
◎心理学者のくせに、ここ何十年間の創造性研究を何もフォローしていない。
◎思いつきと思索だけで実験していない。
◎ビジネス書系のアイデア本はアカデミックな創造性研究を知らず、研究者はビジネス系を無視している。
◎成功したクリエイターのハロー効果だけの企画で中身がない。
◎他の分野に類似の方法があっても知らんぷり。
◎相変わらずの無意識頼み。...etc.
――『アイデア大全』

これは数々のその手の本を書いてきた著者や編集者にとっては目を背けたいものばかり、一番触れられたくない部分でもあります。しかし、既存のイメージを破壊しようとするからこそ、目指すべき本が見えるというわけです。
その試みが成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、私が読んだ限り、アイデア・発想本を語るにあたってエポックメーカーになるのでは、と期待させるものがあります。つまり、『アイデア大全』以前・以後でその手の本の評価が大きく変わってしまうんじゃないかと思うほどに。

次の破壊的創造法は「P.K.ディックの質問」です。これは「それは、本当は何なのか?」と自問自答するだけという米国のSF作家フィリップ・キンドレド・ディックの手法。どこが破壊的なのか? シンプルながら"最凶の問いかけ"と、著者は次のように評します。少し長いのですが引用します。

なぜならこの問いは、我々が慣れ親しんできた日常や常識を叩き割り、剥ぎ取る問いであり、しかも何度も繰り返すことを強制するからだ。
ディックはインタビューの中でこう語っている。
「私は、作品の中で、宇宙を疑いさえする。私は、それが本物かどうかを強く疑い、我々すべてが本物かどうかを強く疑う」
ディックの小説では、「現実」と「私(アイデンティティ)」の脆さ、不確かさが繰り返し取り上げられる。そこでは現実と悪夢が交錯し、両者の境界線が次第にかき消えていく。主人公はそれでも、自身を世界につなぎとめるかのように、事の真偽(こいつは本物の人間なのか? これは本当の記憶なのか? 等々……)を問い求め続ける。
しかし、そうした努力をあざ笑うかのように、慣れ親しんできた「現実」は音を立てて崩れ、主人公は自分が拠って立つ基盤を、存在理由(レゾンデートル)を失い、深刻なアイデンティティ・クライシスに突き落とされる。
――『アイデア大全』より

繰り返し「本当は何なのか?」と問えば、ほどなく虚無的な答えに行き着くということです。しかし、なぜこのような危険な問いが必要なのか?

我々の創造性は、いつもの、おきまりの思考の舗装道路を通るときには抑制されることが実験により示されているからだ。熟練した知の働きを一旦止めて、出会ったことのない奇怪で曖昧な何かを、なんとか読み解くところに新しいものは舞い降りる。
並の開拓者ならば道無き道を行くだろう。ディックの質問は舗装道路をわざわざ荒れ地に変えて進む。
――『アイデア大全』より

「舗装道路をわざわざ荒れ地に変えて進む」とはまさに島田作品の登場人物のよう。彼らもまた「本当は何なのか?」「本当は誰なのか?」「本当は何がしたいのか?」と自問自答しながら、平凡な日常を叩き割り、進むのです。そのまま根気よく進み続けた先に何かがあるとするならば、それは誰もが見たことのない、予想もつかない、ゆえにある意味で感動的なシロモノであることは間違いないはず。

以上、無理矢理、ジャンルの枠を飛び越えて『アイデア大全』を紹介をしました。
もちろん、本書に記されている手法のほとんどが「破壊」からはじまるものではありません。むしろ、今あるネタから複数のアイデアを生み出す方法や、呪術的なもの、睡眠をつかった手法などさまざまあります。
とはいえ、クリエイターや商品開発に携わる方など、つねに企画を考えつづけなければならない人にとって、やはり「自主的な破壊」が必要なのは間違いないでしょう。自戒の意味も込めて、本書の一節を抜き出します。

良いアイデアを生むためには、我々が無意識に自身に課している制約や枷を外して、自由な発想をすることが必要だ、とは誰もが唱えるお題目である。
しかし我々の着想を縛るのは、単なる偏見や思い込みばかりではない。
自分が大切に思っているもの、今の自分を決定づけた大切な体験など、自分にとって宝物に値するものこそ、我々の発想を制約し枷をはめる。
――『アイデア大全』より

ということで、島田作品の完全読破の前に、村上春樹の『騎士団長殺し』をはじめ、いくつかの著書を読もうと思います。





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